ハネビロトンボ Tramea virginiaの変異個体例
T.virginiaは種内の個体変異が豊富である.変異の代表例としては後翅根元に現れる褐色斑の多型が挙げられる.筆者はT.virginiaを収集する中で特異な個体を採集しているので,ここにその特徴をまとめておく.今後同じような個体が報告された場合の参考資料として使用していただけたら幸いである.
変異個体の標本写真
変異個体の各部特徴と通常個体との比較
採集した2個体の全体的な特徴はT.virginiaと一致するが,特に雌は海外に生息するTramea属の特徴が各部に見て取れた為,雑種である可能性を考慮し両個体のDNA解析を依頼した結果,どちらもT.virginiaであることが証明された.
頭部
前額前面の金属光沢斑は雄は通常の個体と差は見られないが,雌は額瘤手前まで縮小している.前額は雄では赤みが非常に強く後頭楯まで発達している.雌の前額は全体的に黄色が強い.額瘤は雄では紫の金属光沢が強く額瘤前面を覆っており赤みは弱い.雌では全体が黄色い.通常は見られない頭部の裏側にも着目すると,雄は上側が赤茶色くなり下半分は黄褐色である.雌は上半分が赤褐色で下半分は黄色みが強い.雄は通常個体より色味が濃く発現している程度.雌では通常個体とは違いが見られ,T.basilaris(テンジクハネビロトンボ)やT.loewii(オセアニアハネビロトンボ)に似る.
胸部
雄の胸部は肩縫線と第二側縫線上部わずかに黒紋を残し下部黒条線は消失している.第一側縫線も黒斑が完全消失しており,通常個体とは違った特徴が見てとれる.背面側は翅の根元は赤みが強い.雌の胸部は肩縫線及び第二側縫線の上部に黒斑があり第一側縫線の黒斑紋があるが全体的に黒条線が消失傾向である.
脚部
雄の脚部は通常のT.virginiaと差は見られない.雌の脚部は前脚腿節側面の黄褐色部分が発達しておりT.loewii及びT.basilaris♀の前脚に似ているが黒味が混じっている.前脚脛節は腿節との結合部の黄褐色紋が大きい.
腹部
雄の腹部は第8~10節の黒斑紋が上部のみ発達し下半分は赤くなっている.また各節の接合部が赤化している.尾部付属器の長さは体長の割に短く,通常サイズのT.virginiaの♂と同程度である.腹部裏面は赤褐色の斑紋が発達し黒化していない.副生殖器の形状は通常個体と差が無い.雌の腹部は雄個体同様全体的に黒斑紋が縮小しており,黄褐色の部分が発達する.第8~10節の黒斑紋は上部のみで下半分は黄褐色である.各節の接合部も黒色斑が消失気味で腹部1~3節も明るい橙色である.産卵弁は通常個体が黒色であるのに対してほぼ全体が橙色になっている.裏側の白粉部も橙色斑が発達する.
T.virginia通常個体との各部比較
頭部
雄の頭部は前額前面の金属光沢は通常個体との差はない.額瘤が通常個体は上半分がオレンジ色で下半分が光沢を帯びた紫であるのに対して変異個体は全体が紫の金属光沢を帯びており赤みが強い.前額は通常個体は赤色で後頭楯はオレンジ色であるが,変異個体は前額と後頭楯が赤くなっている.裏側は変異個体では赤褐色部が大きく,下半分の黄褐色斑が良く発色しており側縁まで広がる.
雌の頭部は前額の金属光沢が通常個体は背面半分まであるのに対して変異個体は額瘤周辺まで縮小している.額瘤,前額,後頭楯は黄色一色で通常個体と差はない.大顎の黒斑は通常個体より変異個体の方が細長く褐色味が強い.裏側から見ると通常雌は上半分が赤褐色で下半分は黒色だが,変異個体は赤褐色斑の中に黄色斑が見られ,下半分は黄褐色になっている.大顎は通常個体が黄色と黒であるのに対して変異個体は黄色一色である.後頭は通常個体が黒色で変異個体は黄色に染まる.
胸部及び脚部
通常の雄は肩縫線上部に黒斑があり下方向に伸びる.第一側縫線は黒斑が発達し,第二側縫線も上部に黒斑紋があり下に向かって伸びる.対して変異個体の胸部は肩縫線と第二側縫線上部わずかに黒紋を残し下部の黒条は消失している.第一側縫線も黒斑が完全消失しており,通常個体と比較して全体の褐色味が強い.脚部に変異は見られない.
通常個体の雌は肩縫線及び第一,第二側縫線の黒条は強く発達する.変異個体の雌は肩縫線及び第二側縫線の上部に細い黒斑があり第一側縫線にも黒斑紋があるが全体的に消失傾向である.脚部は前脚腿節・脛節に違いが見られ,通常個体の腿節は基部に近い部分が黄褐色になりそれ以外の部分は黒色だが,変異個体は上部まで黄褐色部分が広がり黒色が混じる.腿節と脛節の結合部は通常個体はわずかに黄褐色斑が見られる程度だが,変異個体でははっきりと現れる.
腹部
副生殖器の形状は通常個体と変異個体で違いは見られない.腹部第8節~10節は,通常のT.virginiaは8節から10節に向かうにつれて黒斑部分が大きくなり後節は黒化する個体が多いが,変異個体は黒斑紋が8節,9節では背面側にとどまり下半分は赤化している.10節はほぼ赤化しており9節側にわずかに黒斑部が見られる程度である.また通常個体では各節の結合部に黒斑が見られるが,変異個体では黒斑が消失し赤化している.尾部付属器の形状に違いは見られないが変異個体は通常の雄個体より体長が一回り大きい割には尾部付属器の大きさは通常個体と変わらない.色彩は通常個体は10節付近に赤斑があり他は黒化しているが,変異個体は10節付近から赤斑が発達し付属器中央に向かって伸びる.腹側も各部同様,通常個体より変異個体の方が赤斑の面積が広く発達する.
腹部第8節~10節は通常個体は橙色の斑紋を囲むように黒斑紋が発達するが,変異個体では黒斑部分は背面にとどまり下半分は橙色になる.腹部各節には通常個体だと黒斑があるが,変異個体は消失し腹部の橙色が発達する.第7節背面には通常の雌では中央線に沿って黒条があるが変異個体は見られない.腹面も通常個体に比べて変異個体は橙色斑紋が発達する.産卵弁の形状に差は見られないが,通常個体は黒色であるが,変異個体は大部分が橙色に染まる.
後日得られた怪しい個体
変異個体を採集した地域で後日得られた個体.頭部金属光沢斑が細く,腹部の黒斑部分が通常個体より縮小し橙色が強い.
考察
体色の基本色が発達し黒斑部が縮小する特徴はT.transmarinaでも見られこちらはしばしば観察できる.またtransmarinaとvirginiaの雑種個体にも同様の特徴を持った個体が見られる.
筆者は各地でT.virginiaを集めてきたが,このような色彩変異個体のvirginiaは今まで見たことがなく,ネット上や文献等で生態写真を探してみてみたが,同じような個体は見られなかった.採集した雄雌個体は同一地域で採集しているが,同じ地域で撮影された産卵写真に同じような腹部の黒斑が縮小した雌個体が記録されているのを確認している.また,採集個体は第一化目であったが2化目の未成熟個体でも同様の傾向を持つ雌を採集している.このことから,地域個体群の中でこのような変異個体が出現していることが考えられる.今後,各地でvirginiaを収集していく中で同様の特徴を持つ個体が得られるか注視していきたい.
ハネビロトンボ属は面白い.やればやるほど様々な側面を見せてくれるので非常に魅力的な種である.