種の解説

ハネビロトンボ Tramea virginia (Rambur,1842)

ハネビロトンボ Tramea virginia (Rambur,1842)

♂展翅
♀展翅
♂側面
♀側面

東南アジア・台湾・中国に分布し,国内では四国・九州以南に生息する.

発生期

本土では5月下旬から羽化,中琉球地域では4月頃,八重山諸島では一年中成虫が見られるという.

生息環境

平地にある抽水植物や藻が繁茂した池に生息する.

形態

頭部 雄は顔面が赤褐色に覆われて,前額上部に紫色の金属光沢を持つ.雌の顔面は蜜柑色で,前額上部に藍色の金属光沢がある.雌雄共に上唇中央から側縁に向かって黒く色付く.複眼は雄では半分より上が赤黒色で下半分が黒褐色,雌は上半分が赤褐色で下半分が灰色になる.未成熟個体は雌雄共に顔面が蜜柑色で複眼も上半分が明るい赤色で下半分が灰色になる.上唇は中央から側縁にかけて黒く,側縁上側は橙色.黒斑の範囲は個体により変異があり,中央部にとどまる個体から側縁まで発達する個体など様々見られる.

♂頭部
♀頭部

雌雄ともに大部分は無色透明で,後翅基部に黒褐色斑紋が発達する.前翅基部は橙色に色付く他,中室周辺から黒色斑が伸びる個体もいる.後翅の黒褐色斑紋には基部中央付近に無色透明斑が発達する他,褐色斑紋に沿って橙色の縁取りがある.黒褐色斑紋に関しては雌雄ともに変異に富み,無色透明斑が消失気味の個体から褐色斑中央付近まで発達する個体がいる.雌に関しては透明斑がより発達し,黒褐色斑が分断する個体もいる.また雌雄ともに翅全体が褐色に煙る個体もいる.褐色斑中の無色透明部は個体により変異があり,♂では褐色斑中ほどまで発達するものもいればほとんど消失する個体もいる.♀は基本的に大きく発達するが稀に縮小した個体も出現する.

胸部 雌雄ともに明るい褐色である.

腹部 雄の腹部は明るい赤色で第8節〜第10節の背面と側面は黒く覆われその範囲は若干の個体差がある.副生殖器は生殖後鈎がよく発達する.尾部上付属器は葉片状で基部が橙色に染まる他,山状のギザギザがある.尾部下付属器は下から上に向かってくの字に伸び,長さは上付属器中間に届かない程度である.雌の腹部は明るい蜜柑色で第8節〜第10節の背面と側面は黒く覆われる.産卵弁は第9節よりわずかに長い.尾毛は長く細かい毛に覆われる.腹部背面の中央線に沿って黒条があり,第7節ではよく見える程度に発達する.未成熟成虫は雌雄ともに蜜柑色で,♂は成熟に伴い赤色混じりになり次第に全身が赤く染まる.

生態

 羽化した個体は水域付近の草むらや木立の枝先などに集まり身体を乾かしながら摂食活動を行う.半日程度である程度身体が乾くと上昇気流に乗り正方形を描くように高空彼方へと飛び去る.未成熟個体は羽化水域からかなり離れた路上や林道,草地が隣接する樹林など開けた場所で摂食活動を行う.海岸線の飛来地における一時発生個体群の観察では,推定羽化地のある埋め立て地から海を挟んで数キロ先の緑地が広がる埋め立て地や内陸部の公園で未成熟個体が得られている.

 成熟した♂は水域に戻り縄張りを張る.飛び方は独特で上下に揺れるように飛び,池の一定距離で縄張りを張る.縄張り内に他の♂が入ると激しく追いかけ排除しようとする.縄張り内に♀が現れると素早く掴みかかり交尾態となって付近の枝や草に静止する.交尾は始終静止して行なわれ,十数分から30分程度続く.

 交尾が終わったペアは連結態のまま水域に訪れ,水面から数十センチほど上を飛び回り産卵場所を探す.産卵場所は浮遊植物がある水面を好む.産卵場所を見つけたペアは僅かに空中停止し狙いを定めた後一度連結態を解除,♀は浮遊植物に向かって打水し♂は後方で♀の打水が終わるまで待つ.打水が終わった♀が水面から離れると同時に再び♂が掴み掛かり連結態となり次の産卵場所に移動する.産卵は同調的に複数個体が現れる事が多く,一つの水域に複数ペアが飛び交う場面がよくある.連結中の♂は非常に警戒心が強く,他の♂個体や連結態が近寄ると必要に追いかけ回す.特に他の連結態が接近すると産卵場所探しを中断し追尾する方に集中する.ある程度産卵が繰り返された後突如連結を解除し♀は高空彼方へと飛び去るか,単独産卵に移行する.単独産卵時は水面の植物の有無は関係なく様々な場所で打水を繰り返す.この時,連結態だった♂は♀から1m前後後方で警護飛翔を行う.産卵は太陽がしっかり上った午前中から午後にかけて行われ明るい時間帯は継続的に行われる.

 水域に♀が単独で現れ産卵をする事もなく水面をゆっくり飛ぶ姿が観察され,この場合は♂が近くにいるとすぐさま交尾態となり飛び去る.♂が水域にいない場合は数分すると水域から離脱し,十数分経つと同じように水域に現れ飛び続ける事を繰り返す姿が観察される.この行動は早朝及び少数個体が飛来した飛来地にてよく見られ,♂と♀が効率よく出会うための一戦略と考えられる.

 摂食活動は水域付近の開けた場所及び遠く離れた空間など様々な場所で行われる.早朝は水域に向かう前の♂個体が林道や畑地などで摂食活動を行う姿が見られ,産卵が開始される時間帯になると産卵後の♀個体が摂食する姿が見られる.また,開けた空間にある一本立ちしたような枝の先に好んで静止する姿が良く観察される.この場合多くは静止しながら周囲に餌となる小昆虫が現われると即座に接近し捕らえる.条件のよい場所では複数個体が静止する姿が見られその時間は数時間に及ぶ.

 羽化は夜間に行われる.羽化した個体は付近の草地や樹木の枝先に静止し,数時間から数日過ごしたのち高空へ飛び去る.この時一気に飛び立ち上昇気流に乗って正方形を描くように視認限界以上の高度まで上がっていく.未成熟成虫は羽化水域から遠く離れた路上や山間の空き地などで見つかり,そのような場所で摂食活動を行う.筆者の観察では8月15日に相当数の羽化を開始した水域で成熟成虫が多数戻ってきたのを観察したのが9月4日であったことから,成熟するまでに必要とする期間はおよそ半月程度と考えられる.

成虫のサイクルは本州では年2化.越冬した1化目は5月下旬頃から羽化し,6月中旬には生殖活動が行われる.羽化は一斉に始まり,その後も細々と続く.2化目は8月頃から始まり8月中旬から9月にかけてがピークになる.10月上旬にも羽化個体が得られた事から秋口まで断続的に続いていると考えられる.南西諸島では年間に数回世代を繰り返していると思われ,沖縄島で11月中旬にも未成熟個体を観察している.

和名の通り横に大きく発達した翅を持ち,非常に強い移動性がある.国内では,北は北海道まで飛来記録があり,海岸線以外にも標高の高い場所まで飛来する超広域分散種である.筆者の観察では500m前後の山間にある池で見たことがある.また,飛来後に生殖活動を行うと次世代が一時的に発生する事がある.筆者の観察ではビオトープなどの良好な環境が維持されている場所ではよく発生するが,外来種が発生していたり環境の悪い溜め池では生殖活動が確認されても発生まではいかない.このような人の手によって作られた良好な環境は海辺に作られることが多いので,本種の飛来戦略とマッチしているとも考えられる.

 飛来個体においても好む水域は同じで,水中に藻類が繁茂した池や水性植物が豊富な水域に好んで飛来する.都市公園においては人工的に作られた池で藻類が繁殖している池がよくあり,海岸線・内陸部問わずそういった環境を見つける.

未成熟個体

羽化後体を乾かす個体
未成熟個体は同じ場所に集まる傾向がある

縄張り

水辺の枝先に静止して縄張りを張る♂
飛翔時はホバリングを交えて一定空間を占有する

産卵

産卵場所を決めると連結を解く
♀は水面に降り打水する
♀の打水が終わると♂が掴みかかり再度連結する

摂食

飛翔摂食する♂
静止摂食♂

好む水域

水性植物が繁茂する溜め池
藻類が繁茂する人工的な池

備考

 日本以南の東南アジアと中国に分布するが,地域による亜種分けはされていない.国内の分布を見ると定着は四国以南とされており,それ以北の地域での記録は飛来か一時的な発生がなされたものと考えられている.

 筆者の住む近畿圏では2022年以降,海岸線の一部地域で世代を繰り返していると思われ,2024年現在は春先から発生を確認している.移動性は地域間においても見られ,近畿圏でも海岸線で発生したと考えられる個体が内陸部の山沿いや奈良県・滋賀県などの海に面していない県でも記録されている.分散力は若い個体ほど強い傾向があるようで,発生期と大風が重なった時は海を渡り対岸の県の海岸線で飛来してきたと思われる個体を採集している.このまま発生を繰り返して定着するのか,一時的なものなのかこれからも見ていきたい.

 沖縄県における本種の定着域に関して,中琉球地域に関してはその発生個体数から確実に定着していると見られるが八重山諸島では疑問がある.本種が多数見られる時期に変動があり,春先から夏にかけては著しく個体数が少なく,秋に入る頃に増えてくる傾向がある.台風などの大風が吹き込んだ後は特に多く,ある年では土着種のヒメハネビロトンボがほとんど見られず,全て本種に置き換わっていたこともある.また,秋期にはヒメハネビロトンボとの交雑もしばしば確認でき,雑種一世代と考えられる種間雑種個体が春先に多く記録されているのも,本種が秋期を中心に増加する為と推測できるがいかがだろうか.

個体変異 

 他のTramea属と同じく本種も個体変異に富む.特に翅斑紋は多型で斑紋縮小型から発達型まで様々で時に翅全体が褐色を帯びる個体も見られる.以下に個体変異を掲載しておく.

未成熟♂

未成熟♀

成熟♂

成熟♀